コラム > 2009/04/03 グッバイ親父

グッバイ親父

2009年4月3日、親父が逝きました。67歳でした。2年前に亡くなった親父の兄貴と同じ肺がんで。

1月5日 正月にせきがひどくなり年明けに病院へ。即入院となる。

1月8日 私だけ病院に呼ばれて「肺がんです」と宣告される……かなり凹みました。

1月20日 PETと呼ばれる検査のために岡山へ、ガンの居場所を特定するようなもの。

検査後数日後 私だけ呼ばれて「転移も見られる、かなり進行していると」 この時点で「1年は持たない」だろうと。

さらに数日後、先生が親父に告知「ガンという病気なので治療していきましょう」と。つまり「治らない」とは言わずに。

治療としては抗がん剤治療を始めました、容態も安定していて2月7日に退院。通院で抗がん剤を投薬することに。

2月24日 弟がドイツより一旦帰国。生きている親父に会うために。弟には全て伝え「これが最後と思って会いに来い」と。25~26日に家族4人で一泊旅行ができました。弟がドイツに向かった3月3日、苦しいというので病院へ、そのまま入院。

なんとか容態は落ち着いたので3月6日~8日は大阪へ。でも大阪で自分が体調崩す……実は肺炎だったと

3月11日 病院へ呼ばれる「肺に水が溜まっている、持って1~2ヶ月かもしれない」と。予想以上のガンの進行らしい。

3月17日~19日 親父の兄弟(5人)が北海道より見舞いに来る。生きて会えるのは最後ということも知りつつ、でも明るく振舞っているように見えました。心中はどうかわかりませんが。しかし、感謝です。

3月21日~22日 当店主催の走行会。近い人には「もしかしたら主催できないかも、その時は運営頼む」と伝えていましたが容態は落ち着いていたので参加。正直、落ち着きませんでしたが。

3月24日 病院へ呼ばれる「かなり悪い、いつ急変してもおかしくないから」と。覚悟を決める。

この後は時間があれば病院へ行っていました。4月2日は私の40歳の誕生日。オカンは3月下旬から病院へ泊り込み状態。親父は苦しそうだが会話は出来る。「40歳になったで」と言うと感慨深げ。昔話をしたりして……私は子供のころの記憶が極端に無いのですが昔、家で親父と親父の仲間達が麻雀をしているシーンがあっていつ頃なのかがずっとわかりませんでした。それを聞いて見ると親父は「昭和49年だろ、たしか」とのこと。つまり5歳!そんな歳の記憶は無いと思っていたので驚きです。その時の会話も覚えているんですよね。私が「麻雀教えてよ」と言ったんです(笑) 5歳児が生意気に。で、親父は当然教えないと言ったんですが……高校生で覚えました、毎週徹マンしてたし(笑)

4月3日 昼に病院へ呼ばれます。かなりしんどい状況なので薬を増やしますと。家族の同意がいるとのことで。薬を増やすということは本人の痛みを取り除くということ。その代わりに眠っていくと。その眠りはいつか永遠のものになると。言い換えれば本人を会話できる最後になるのです。

薬を増やす前からもうろうとしている親父と2人きりになる時間があり想いを伝えようかと。ごつい手を握ると少し反応してくれる。親父の手を握ったのはいつ以来なのだろう?鼻には酸素吸入の管がつき目はうつろ。元気で怖かった親父の姿はそこにはなく。これは親父じゃない、何か「動物」のようにも思えたり。それは何か怖くて親父と認めたくなくて……複雑な心境。

「親父、聞こえるか?今まで、ありがとな……」と言うだけで涙がボロボロ出てくる。何度も何度も「ありがとな」と。見ると親父は頷いてくれる。もはや声も出せず手を握り返すことも出来ないけれど。

「親父の息子でよかったよ、ホントに」 

やっとこの言葉が言えた。素直に言えた。遅すぎたとも思うけど伝えられた。親父の目から涙が少しにじんでいた。

「今日はアキラの誕生日だよ、もう少しで来るから頑張れるか?待っててくれよ」と言うと頷いてくれる。15時ごろ到着。3人の孫たちが。すると寝ていた体を起こそうとする。「親父、無理するなって」と言っても起きようとするので起こす。ベットサイドを掴む手も震えていて目もほとんど開けれず声も出ないのに。孫たちの声を聞き満足したのか横になる。相変わらず息苦しそうだけど薬を増やしたのは今日なのですぐにどうこうなると思わず一旦帰宅。

晩飯と風呂を済ませた20時半過ぎ、病院にいるオカンより電話「心臓がかなり弱ってるみたい、すぐ来て!」と。急いで準備し病院へ。きっと今までで最短時間で付いたはず。病室へ入ると泣いているオカンと立ち尽くす看護師が2人。間に合わなかった……

体はまだ温かい、でももう動かない親父。21時3分、死亡が宣告されました。

肺がんとわかってからわずか3ヶ月。一旦帰宅できるぐらいだったのに……先生も「正直こんなに早いとは思わなかった、10~11ヶ月は持つと思っていたんだけど予想以上の進行。3ヶ月しか持たなかったなんて医者として何も出来なかったに等しいです」と。そんなことは無いですよ、先生も看護師の方も良くしてくれました。感謝してます。

両親と同居し今回のように具合が悪くなっていく様子を目の当たりにし、最後まで見ることが出来たのは良かったと思います。人の死というものが身近に感じることができました。死を忌み嫌うことはありません、生まれたら必ず死にますし。きちんと受け入れることが出来た気がします。人の命ははかないですね、本当に。だからこそ今、このときを大事にしたいなと。

子供3人のうち一番上のノゾミ嬢だけは状況を把握していました。泣きじゃくり悲しみ……葬儀の時も棺のそばからずっと離れないし。最後の骨を拾うところまで見せました。死んで骨だけになったんだよと。きっと忘れないでしょう。

親父は口数の少ない人でしたが思慮深く人の内面をよく見てくれる人でした。「勉強しろ」とか言われたこと一度も無いし(まぁ勉強してませんが・笑)